2026年 6月1日(月) (A Trip to My Hometown) 

 

その方は毎日1万歩をステッキを持ち、ウォーキング。その男性と、ガラス張りのレストランで「すなばコーヒー」を飲みながら会話を楽しみました。彼は詩人、すでに5冊の詩集を出版し鳥取県立図書館にも寄贈されています。会社を退職し、70歳に放送大学に入学そして卒業。4年間の並々ならぬ努力は奥様からお聞きしました。現在は趣味で英語翻訳を手掛けておられます。英語原文の小説を翻訳し、他の方の日本語翻訳と比較しながら赤ペンでチェック。そのノートを見せていただきました。私は宮古島の花と景色を写した写真をフォトフレームに入れプレゼント。奥様が玄関入り口の棚に飾ってくださいました。今年93歳になられます。来年の再会を楽しみにお別れしました。

 

 

 

Serendipitous Encounters 】  偶然の出会い   2025年 9月号 きぼう 掲載

 

 

 7月、8月はある場所で外国からの訪問客にお会いしました。一組の韓国からのお客様は奥さまが英語を上手に話しました。東京経由で宮古島を訪問。彼女によると、今、「宮古ブルー」がSNSで人気のようです。

 

 さらにもう一組の韓国からお出でのご家族。奥様と15歳の娘さんは英語でコミュニケーションが可能でした。

 アメリカ合衆国からのご夫婦に関しましては8月号でご紹介しました。積極的で明るく、謙遜なご夫婦はアメリカンEnglish. 私も一層学習意欲を強められました。

 

 8月下旬はポーランド人の二人の若者(男性)○○食堂で昼食を共にしました。おしゃべりの共通言語は英語。どの国の方々とも英語を用いますと意思の疎通が可能です。

 

 英語を用いて意思の疎通を図る時、非常に積極的になります。わたし自身の性格もあるのでしょう。日本語で話すときは無意識に相手との関係、立場、性別、年齢の違いが言葉遣いに反映されます

 

 英語ではみんなほぼ対等な関係になります・・・英語の持つ力なのでしょうか。

 Serendipitous Encounters 】  偶然の出会い  2025年 8月号 きぼう 掲載

 

先日、米国人のご夫婦にお会いしました。比較的お若い方々でした。奥さまの英語とご主人の英語は幾分アクセントも異なっていました。奥さまの英語は典型的なアメリカンアクセント。滑らかで速度も速く感じました。友好的な会話を楽しみました。公式な場でのきちんとした表現とリラックスした時に用いる言葉には違いがあります。 

 

 

通常、わたしは英語学習では、録音されたストーリーを通常の1・6倍速で聴き、シャドーイングを行います。この典型的な米国人夫婦との会話に励まされ、今日は1.8倍速で試しました。奥様の話すスピードに近いようです。今後のわたしの個人学習ではこの1.8倍速でのスピードを標準にします。

 Serendipitous Encounters 】  偶然の出会い  2025年2月号 「きぼう」掲載

 

 

最近、アジアの方々をよく見かけます。神戸のコンビニではインドの若い男性従業員が働いていました。京都に宿泊した時も、近くのコンビニで外国の方の店員さんが接客されていました。宮古島でも、韓国か中国の方らしい女性が流暢な日本語で業務をこなしています。

 

先日のことですが、夜の9時過ぎでした。仕事の帰りのことです。駐車場を後にし、狭い道路からバス道路に車で出ようとしていましたら、歩道にいた二人の青年がわたしの車を優先するため、立ち止まって私の車が通り過ぎるのをじっと待っていました。

 

わたしは、車をバックさせて停車し、ヘッドライトを消して、彼らが車の前の歩道を通るよう手で合図しました。でも彼らはそのまま待っていましたので、わたしは、ゆっくり車を前進させ、窓を開けて、感謝の言葉を述べました。一見して他の国(アジア)の二人の若者でした。爽やかなスマイルを浮かべてお辞儀をしていました。

 

運転しながら思い巡らしました;「二人はどこの国の若者だろう。どんな教育を受けたのだろう。ご両親はどんなしつけをされたのだろう。流暢で高い言語能力は大切だけれど、人柄、特質はもっと・・・」

Serendipitous Encounters 】  偶然の出会い  2025年1月号 「きぼう」掲載

 

11月の帰省の際、京都駅でのこと、構内でベンチに座りJR山陰本線の列車を待ちました。しばらくして隣りに家族連れが来られました。男の子が美味しそうにお菓子を食べていましたので、声をかけました。お母様も明るいお人柄でした。ご家族は台湾から福井県に旅する途中でした。4歳の男の子は恐竜が好きで福井市には恐竜の博物館があるとのことでした。

 

 台湾からのご家族だと知ったのは会話の進展で理解しました。台湾の方とは最初は全く理解できませんでした。彼女の話によりますと、独身の頃、京都の同志社大学で日本語のコースを受講し日本語を学ばれたようです。

 

 ご主人は大学教授です。京都での学会に出席するため単身京都に滞在されました。物腰の柔らかな知性的な方でした。

 わたしの列車の出発時間になりお別れしました。そのご主人とは英語でのコミュニケーションでしたが、奥さまはわたしが英語でコミュニケーションをする様子を観察して驚いておられました。

 

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                                 2024年6月 宮古島

20241114日水曜日 京都府立植物園

 

 山々では紅葉の時期でしたが、市内の低地に位置する、緑色のもみじの木々に囲まれたその池はいくぶん濁っていました。そのほとりに唯一の「あずま屋」があります。池には、巨大な鯉が悠々と泳ぎ、カメもいました。永遠に変わらないのではないかと思われる時間が流れます。

 

そのあずま屋にたどり着きますと、一組の若いご夫婦がくつろいでいました。一目で外国の方だと分かりましたので、話しかけました。インドネシアのご夫婦は日本に来て4日になるが、初めて日本人と話したと言われ喜んでいました。神戸経由で京都に来られました。いろいろおしゃべりをしていますと興味深いことが生じました。

 

英語での会話を聞いて近づいて来られた独りの若い女性は明らかに西洋の方と分かりました。大学生のように思えました。興味深いことに、その方はそっとわたしの座るベンチに腰を下ろし、ゆっくり何かを食べ始めました。そして静かにインドネシアのカップルと私との会話を聞いていました。わたしは彼女にあいさつしました。ポーランド人でした。彼女にとっても英語は外国語です。でも口調はなめらかでした。美味しそうに味わっている食べ物は彼女の大好物ということでした。彼女の日本人の友達は、「それは年配の方がよく食べる」と教えてくたそうです。その食材はポーランドにもあるのですが、これほど美味しくないと説明してくれました。

 

楽しい時間が過ぎました。そこへカメラを携えた女性が来て、池の水鳥を観察していました。わたしが話しかけますとあずま屋でくつろぐ私たちにづいてきました。カナダ人の女性でした。さすがにネイティブスピーカーですので、当然ですが、英語は流暢で速度も速く、インドネシアのご夫婦やポーランドの女生の英語とは異なっています。鳥類学者とお見受けしました。池に飛来するある鳥を観察し、わたしの前に鳥類図鑑を広げ、その鳥の名称を私に教えてくれました。

 

 

※Hi! という言葉から人と人との結び付きが生じ、なごやかな交友が生じます。アジアの方々の観光客も多い日本ですが、少なくとも英語は国や文化を超えて人と人の友情をは育む言語のようです。

 偶然の出会い    10月17日木曜日 晴れ場所;東平安名崎    妻との散歩 午前11時

 

  東平安名崎の駐車場につき、隣接する芝生を歩きますと小高い丘があります。そこで二人の外国から来られた初老の男性に会いました。胸につけた小さなプレートには名前が記載されていました。お二人とも、とても丁重で静かな男性でした。いきさつをお尋ねしますと、クルーズ船で九州のある都市を経由し、初めて宮古島にお出でになったようです。団体で来られていてオ-ストラリア、ニュージーランドそして英国人ということでした。 お二人はオーストラリア在住です。

 

 そのうちのお一人が恐らく仕立ての仕事をしておられるようで、(あるいは趣味で衣服を作成されているのかもしれませんが)島には生地/織物を売るお店がないかどうか尋ねられました。とっさに思いついたのは、宮古上布でした。日本本土の徳川幕府とほぼ同じくらいのおよそ260年にわたる人頭税の過酷な歴史の中で完成したこの布は日本の3大上布として認められています。

 

 平安時代に女性の活躍でひらがなが作り出され広まったのと同様、宮古島では女性が宮古上布を作り上げていきました。 ひらがながなければ、現在のような美しい日本語も違ったものになっていたでしょうね。宮古上布も忍耐強い女性の働きがあってこそ現在まで継続されているのかもしれません。

 

 宮古島には上布を販売するお店はあるのですが、明確にその場所をお教えできず残念に思いました。 暖かい気候と美しいビーチは多くの人々を引き付ける宮古島ですが、先祖の方々の経験した苦しい人頭税を知らない方々も多いようです。

 

※わたしは宮古島に転入したのが、ほぼ20年前でした。図書館に頻繁に通い、宮古島の歴史を深く学ぶようになりました。日本本土ではほとんど知られていない第二次世界大戦末期の沖縄戦にはとても心を痛めました。

                                                             

 

 

午前中、場所は今回も「比嘉ロードパーク」     20240719 晴れ

 

スペイン語の本を開いて少し学習しながら、東屋のベンチに座り、時折、その場に立ち寄る観光客の皆さんの様子を見ていました。

 

その時、スクーターでやって来た若い方が目につきました。彼は、ヘルメットを脱いで、やはり東屋でくつろぎ始めました。

 

「こんにちは!」と挨拶すると、「こんにちは」と返事をし、私の方に歩み寄ってきました。

 

一緒に座り、おしゃべりを始めました。彼は20代後半で韓国人の方でした。産業デザイナーを専攻している大学生です。

 

会話は全て英語でした。長年学習している言語が役立ちました。およそ1時間以上はおしゃべりを楽しみました。多くのことを話し合いましたが、その中に、現在独学で学んでいるスペイン語は、日本語や英語以外の、さらに広い視野で物事を見るのに役立つこと、外国語の学習は認知症の始まりを遅らせることなども話しました。

 

彼はそれらの説明を理解してうなずきながら同意していました。次第に打ち解け、さらに深い話もできました。

 

私は生活の中で様々な..... 一部省略

 

最後に、お互いの名前と電話番号を教え合い、連絡を取り合うことを約束し握手をして分かれました。車で去る私に丁重にお辞儀をしてくれました。

 

彼はその日、午後4時の飛行機で下地島から韓国に帰りました

2024年6月19日(木曜日) 晴れ

 

海の美しさに感動して何度も写真とビデオを撮る年若い男性に声をかけたのは、宮古島の南東比嘉ロードパーク」でした。その方は30歳代と思われる中国の上海近くにお住まいの男性でした。

 

宮古島の美しさに魅了され、昨年も同じ時期に訪れました。比嘉ロードパークからの壮大な景色は隠れた観光スポットと言っていました。

 

「綺麗ですね」と、話しかけました。 彼は「キレイです」と返答、あとは英語で応答されました 私も英語を用い会話が弾み、15分ほどおしゃべりしました。

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比嘉ロードパークから、大神島が見えるので、私は大神島に行ったかどうか尋ねました。

 

彼は、その島だけは行っていないとのことでした。聞き伝えによると、その島に行くと、いろいろ奇妙なことが生じて危険だと思ったとのことです。

 

宮古島では、人が亡くなると神さまになり、ご先祖を大切にするという信仰が一般的であることを彼に説明しました。他の事柄もいろいろおしゃべりしました。

 

中国語のアクセントでしかも、大きい声でした。彼は私に30センチの距離まで近づいてきて会話をしました。

 

これだけ大胆に英語を、聞いたこともないくらいの大きな声で、しかも早口で喋る英語は、それまで経験したことはありません。彼の英語は基本的な単語と言い回しで構成されていましたが、はっきりと確信に満ちていました。

 

個人タクシーで観光しておられ、待たせていたタクシーで次の観光地に向かいました。

 

中国本土の方と会えてうれしく思いました。ここ1か月の間、観光地でお会いした、いわゆる、外国の方々は、韓国、ドイツ、南米のチリから来られた人々でした。今後もっと多くの方々と知り合いになると思います。

 

生徒の皆さん、この方に見倣いましょう。声を大きく、はっきりと自信をもって話しましょう。彼の場合、中国語の口調がそのまま英語に表れていましたが、もっと良いのは、米語・イギリス英語に関わらずネイティブスピ―カーをまねすることです

 

まるでドラマに出演しているかのようにその人物になりきってまねましょう。英語がとても上手になりますよ。

2024年5月19日(日)

 

・・・那覇空港から宮古空港に着きました。その時、あるご家族に遭遇しました。日本人家族ではないようでした。英語で話しかけました。20歳くらいの娘さんが応じてくれました。お父さんが富士山の写真が印刷され、Japanの文字が印字された帽子をかぶっていました。

 

ご家族は、京都訪問の後に宮古島に来られました。

 

お国はペルーでした。私は英語に交えて覚えたてのスペイン語を使いました。喜んでおられました。職業は何かとスペイン語で聞かれましたので、学校で英語を教えていると答えました。(英語スクールは学校ではないのですが、相当する単語を知りません)

 

娘さんは○○人と日本人の違いについて話していました。「○○の人たちは大きな声でおしゃべりをするが、なぜ日本人は静かなのか」と尋ねてきました。神道の影響だと思われたようです。

 

わたしは「他人への気配りが強くあるので、公共の場所では日本人はどこでも静かにする傾向があると思います」と話しました。

(※すべての国民に良い特質がありますし、見倣える要素があります。一つの国民が他の国民に勝っているとか、劣っているといった’優劣’は決してありません。日本人の気質も歴史・宗教・他の文化的な側面などの要素が関係するのかもしれません。私が他の言語を学ぶ動機付けは異なった文化から学ぶためでもあります)

 

 

 ご家族は、宮古島には3日滞在し、その後、台湾に行くと話していました。彼女は私たちの会話を、英語からスペイン語に直しお母様に伝えていました。

 

 最後、私は父親と握手し、「チャオ!」といって分かれました。私の妻も一緒でしたが、皆で手を振って別れ空港を後にしました。